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2006.8.9更新
LETTER from OHATA |
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★No.324 急成長する「中国・大連市」を訪問 (2006年7月31日)
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10年ぶりに大連市を訪問 7月22日から25日まで「民主党茨城県第5区総支部・日中友好訪中団」の団長として中国・大連市を訪ねました。一行は、20名。ご多忙中にもかかわらず、多くの市民の皆さんにご参加頂きました。ご参加頂きました皆さん 、ありがとうございました。 1995年の4月、初めて大連市を訪れ、日本の桜を250本寄贈しました。翌年も250本の桜を寄贈して、合計500本。当時、大連市の郊外に大規模な工業都市「開発区」が計画され、日本企業が多く進出する計画をしておりました。その「開発区」の中央に大規模な公園「砲台山公園」を建設する計画となり、その一角に日本庭園を設置する際、当時の社会党久保亘書記長が、大連市の高姿副市長に「日本庭園に桜を寄贈する」と約束しました。当時は、その約束を果たすために、桜を携えて、大連市を訪ねたのが最初でした。 その後、1996年9月に民主党を結成し、当時の鳩山代表らと共に、最初の訪問国として中国を選び、その途中に大連市を訪ねました。それ以来ですから、約10年ぶりの大連市訪問です。今回は、大連市に進出している日立製作所など日系企業を 訪ねることと、大連市の幹部の皆さんと懇談すること、日露開戦101周年を迎える中で、世界平和を願い、日露戦争の舞台となった203高地など旅順地区を訪ねることを主な目的としました。
22日、大連市に着いてすぐ向かったのが、日立製作所の100%出資の大連工場でした。清水勇総経理ら工場幹部の皆さんにお出迎え頂き、現場を丹念に視察させて頂きました。特に、工場内は整理整頓が隅々までなされ、現場の士気の高さが表れておりました。 当日は土曜日でしたが、大連工場では多くの工場員が出勤し、仕事中でした。まるで、私が入社した30年ほど前の当時の日立工場の重機製造部のような感じであり、大きな製品の機械加工を大規模に行っており、工場は活況を呈していました。主な製品は、中国国内向けの原子力発電所の圧力容器などであり、工場内の作業も盛んに行われておりましたが、大連地区はあまり雨が降らないということで、屋外での溶接やグラインダー作業も盛んに行われておりました。大連工場は、港に接しており、すぐ裏が港です。 工場の敷地内には、戦時の大規模な避難壕もあり、当時のソビエトと国境を挟んで緊張関係のある時に、建設されたものとのことです。しかし、現在でのその壕を取り壊すことは禁止されており、中国の国防に対する厳しい意識の現実を再認識しました。
翌朝は日曜日。朝9時にホテルをバスで出発して、暑い日ざしの中を旅順に向かいました。この旅順地区は、まだ中国軍の管理下であり、外国人にはあまり開放していないので、日本語をあまり話さないほうがよいと事前に注意されました。しかし、近々一般外国人にも全面的に開放する予定だそうです。バスは、約一時間程で旅順港に到着しました。旅順港を横に見て203高地に向かいました。小高い山の中腹までバスで行き 、バスから降りると、早速、駕籠かきが10基ほどやってきました。二人一組で、客一人をかごに乗せて山頂まで運ぶ。料金は、10元。山頂までのすぐなので、多くの人はかごに乗らずに山頂に向かう。山頂に着くと旅順湾が一望できました。この203高地をめぐって、約1万7000名の日本兵が戦死しました。確かに、旅順湾が一望でき、ここからロシア艦隊を殲滅させ、日露戦争に勝利することが出来たのでしょう。しかしながら、1万7千人の尊い命が失われました。山から下りる途中に、乃木希典大将の子息、乃木保典少佐が戦死した場所に慰霊碑が建立されており、参加者一同黙祷をささげました。その後、水師営を訪れ、乃木大将とロシア軍のステッセル将軍との会見場を見学しました。庭には、ステッセル将軍の白馬をつないだとのゆかりの樹木などもありました。すべてが、すべてが歴史です。
夕方、6時から中国共産党大連市委員会の懐忠民副書記らと幹部と政治会談を行いました。まず、副書記からは「大連市建設のためのご協力に感謝したい。特に、開発区の日本庭園の建設に、日本から500本の桜を寄贈頂き、現在では、大連市民の憩いの場所になっている。改めて、11年前のご協力に感謝する」とのご挨拶を受けた後、大連市の現状についてご説明を受けました。このご挨拶に対して、11年前の想い出話を含めて、日本と中国の友好関係はこれからのアジアの平和と発展には欠かせないものであることなど民主党としての基本的認識や小沢党首をはじめ民主党の現状やこれからのアジアと世界の平和問題などについて意見交換しました。 その後、参加者一同と共に、夕食会会場に移動し、懇談を続け、和やかで楽しい時を過ごしました。
翌日は月曜日。小雨の中でしたが、開発区に向かい、11年ぶりの日本の“桜”との再会です。朝早くホテルを出て、開発区に向かいました。正式な名称は「経済技術開発区」。11年前は、工場以外は何も無かった地区ですが、現在では、大規模な都市が誕生していました。高層ビルも見られ、また、大連中心部と結ぶ電車も建設されておりその発展振りに驚きました。途中、開発区の立派な市庁舎に立ち寄りました。市庁舎の一階には、日本からの進出企業向けの諸手続きなどが一箇所で済むように、いわゆる「ワンストップサービスコーナー」が設置されており、海外からの進出企業を大歓迎している大連市の姿勢が良く実感できました。また、そのコーナーの窓口には、日本語の話せる担当者を配置しているそうです。まさに、サービス精神旺盛な「開発区株式会社的行政」の対応姿勢です。 市庁舎の視察後、小雨の中を、バスに乗り、開発区の中央にある公園の中の日本庭園に向かいました。いよいよ、11年ぶりの日本の桜の樹との再会です。(次号に続く) |