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2006.8.18更新
LETTER from OHATA |
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★No.326 平成の世直し「渡部恒三氏」水戸黄門祭りへ (2006年8月14日)
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民主党茨城「政治スクール」を開始 8月5日午後3時から、民主党茨城県連主催「政治スクール」の開講式が水戸市内で行われました。申し込み者は多数ありましたが、19名に絞り、受講者が決定されました。第一回目の記念講演を、渡部恒三国対委員長にお願いしました。さらに、永年、労働運動と政治活動をしてこられました県連顧問の坂田勝見氏にご講演を頂きました。
まず、渡部国対委員長には、当日、水戸市内で行われました「水戸黄門祭り」の輪に加わって頂き、祭りに参加していた市民に対する激励をして頂きました。市民からも「民主党、渡部さん、頑張って」などと激励の声も飛び交いました。また握手を求める市民も多数。その後、水戸京成ホテルで記者会見を行い、いよいよ「政治スクール」会場へ移動。
「政治スクール」記念講演の中で、渡部さんは「当時の社会党では政権交代は出来ないと小沢さんは考えた。そうすると自民党内の派閥間で総理を選ぶ事となる。これは近代国家としてはおかしな話だ。そこで、自民党を2つに割って、保守2党を作り、選挙で政権が変わるようにしないと近代国家とは言えないと考えた。自民党から小さい派閥に出て行ってくれといっても出て行かないだろう。それなら、大きな派閥が自民党から出て新党を造らなければならない。従って、大派閥の我々が党を出て、新党を作り、国民の選択で政権交代が出来るような時代を作ろう、と言うことになった。そこで、自民党を離党して新党を結成し、細川政権を誕生させた。これは正しい行動だったと今でも思っている。今の小泉総理の行動は、めちゃくちゃだ。地域社会と国民の生活の実態を無視している。日本国のために、国民のために、ふるさと再生のために、来年の7月の参議院選挙で与野党逆転を果たして、総選挙での政権交代を実現するためにがんばろう」などと、自民党時代から今日の民主党に至るまでの政治の歴史を踏まえた興味深いお話を頂きました。
続いて、坂田勝見顧問から「茨城では労働運動を踏まえた政治活動が盛んでした。これからも平和と市民生活を守るための政治活動が重要です。みんなで力を合わせて、ふるさと再建のために政権交代の実現をめざし頑張りましょう」と力強いお話を頂きました。 平成8月8日、橋本龍太郎氏の「偲ぶ会」(内閣・自民党合同葬儀)が東京都内で執り行われました。会場は、日本武道館。午後0時40分、衆議院本館の玄関前からバスに乗り会場へ。すでに会場付近は大渋滞でしたが、1時半ごろ日本武道館に無事到着。会場には多く人々がすでに入場していました。国会議員席に着席し、開式を待つ。待つ間に、生前の橋本さんのさまざまな政治活動の写真が大写しで紹介される。映像の終了後、橋本龍太郎氏の遺骨が会場に到着。自衛隊の儀仗隊に守られて場内に入場。祭壇中央に安置される。小泉純一郎総理から追悼の言葉。さらに、衆参議長、最高裁判所長官、友人代表の弔辞が続く。その後、天皇皇后両陛下のお使いが拝礼。続いて、皇太子殿下など皇族の供花。その後、総理らが献花。続いて私たちも献花する。議場内のアナウンスで「橋本元総理は、弱者救済が政治と常に語られていました」という話。会場の小泉総理は何を感じたか。
7月1日、橋本龍太郎氏は死去されました。68歳。政治家としてまだ若すぎる死去でした。平成6年6月の村山内閣時の内閣改造で、橋本さんが通産大臣になられた折、通産政務次官に任命され、一緒に仕事をさせて頂きました。通産大臣室の大臣の机の後ろ側に、常に剣道の防具が無造作に置かれ、室内には、稽古着がつるされており、本当に剣道が好きなんだなと感じました。その後、大臣室で通産省関連の予算に関してなど、何度かいろいろなお話をする機会がありました。また、「大畠さん、一緒に剣道の稽古をしようよ」と言う話になり、お互いにその機会をうかがっておりましたが、大臣は日米半導体交渉で超多忙。また私は、準備のために衆議院道場で稽古をしていましたが、稽古の途中で足の肉離れを起こして、杖を使用することになりました。「そのうちにやろう」と話していましたが、翌年の1月8日に村山総理が辞任することとなり、私も政務次官を辞任し、橋本さんは次期総理に就任する運びとなってしまい、結局、手合わせは出来ませんでした。
その後、国会内ですれ違ったりする時に、「いよ!」などと気軽に声をかけて頂きました。その後、総理を辞任し、議連関係でご一緒することが何度かありました。さらに、衆議院第一議員会館の裏に国会剣道場があり、時々、合同稽古会があり、一緒に稽古しました。橋本さんの前にはいつも多くの方が稽古をするために並んでいましたので、私は一緒に竹刀を合わせる事は出来ませんでした。稽古終了後、みんなで一緒に道場の小さな風呂に入り汗を流しました。風呂の中で「こんなに切られちゃったよ」と胸や腹の手術跡を見せてくれました。何本もの手術跡が見られ大手術をしたことを物語っていました。 その後、合同稽古の参加者の皆さんと一緒に、国会近くの別館食堂で反省会を行うことにしました。食堂の片隅に衝立を立てて、その内側での反省会。一升瓶を何本か持ち込み、食堂に頼んだ料理を肴に、コップ酒を飲みながら、和気藹々と和やかに剣道の稽古などについて楽しく懇談しました。その2,3週間後に、またもや緊急入院したとの報道。その時は、無事退院して、元気にお過ごしされていたと聞いていましたが、今回の急な訃報に驚きました。よほど、日本歯科医師会からの献金問題が大きな影響を与えたのであろうと推測します。プライドの高い、そして気さくな方でした。“橋龍さん”のご冥福をお祈り致します。 |