前衆議院議員 大畠章宏

国会リポート/No.907(最終号)

至誠一貫・報恩感謝

大嵐の中「浅野さとし」新代議士誕生!

厳しかった総選挙

 第48回衆議院総選挙は、10月10日公示され、大嵐の中、22日に投開票で実施され、茨城県第五区の後継者である浅野さとし候補は、誠に、誠に残念ながら、小選挙区選挙で自民党石川候補に破れ、午前0時半頃、北関東で「比例区復活当選確実」となり会場でそれまでじっと待機して頂いていた支援者の皆さんと一緒に万歳三唱し、お祝いしました。

 今回の総選挙は誠に厳しい選挙戦でした。9月28日の両院議員総会で、「安倍総理を退陣させる」ために、民進党の公認候補は「全員、希望の党に公認申請して戦う」事が確認されましたが、その後、小池代表から「全員の公認は考えていない」との考えが示され、「排除」された候補を中心に、急遽、枝野幸男さんが立ち上げた「立憲民主党」や「無所属」で闘う事となり、民進党の公認候補は、「希望の党公認候補」と「立憲民主党公認候補」「無所属候補」と3つのグループに分かれて戦う事になってしまいました。

結果的に野党分裂選挙で与党大勝

 このような大混乱の中で総選挙に突入した事により、「希望の党」に対する評価も急落し、結果的に野党分裂選挙となり、自民は選挙前の284議席を確保し、与党は大勝(313)。一方野党は、希望(50)、立憲民主(55)、無所属(22)と厳しい結果になりました。

「浅野さとし」候補は「北関東比例区」で深夜の復活当選。

 後継者の浅野さとし候補は、このような大混乱の中で総選挙に突入し、「希望の党」に対する評価も急落する中で懸命に頑張り、応援団も「安倍総理を退陣へ」「働く者の代表を国会へ、市民の代表を国会へ」「確かな人を国会へ」と必死に呼びかけましたが、誠に厳しく複雑な状況の中で闘う事を強いられました。その結果、1996年総選挙時の塚原俊平大臣との選挙結果と同じように、小選挙区で敗北し、北関東比例区でやっと復活当選するという厳しい結果となりました。しかし、戦後の労働運動の中で生まれた「働くものの代表を国会へ」の伝統ある「一議席」は、関係者の皆さんの懸命な御努力により確保できました。今後、厳しく総括し、次期総選挙にむけて日常活動を展開することが必要です。ご支援を頂きました働く仲間の皆さん、地域の皆さん、本当にありがとうございました。

長年のご支援に感謝申し上げます!

 後継者の浅野さとし候補も、比例区復活当選という厳しい結果でしたが、兎に角、「歴史と伝統ある代議士のバトン」を浅野さとしさんに渡すことが出来ました。

1986年12月14日に行われた茨城県議会議員選挙において、当時の藤原誠県議会議員の後継者として出馬要請を頂き、一大決心して挑戦し初当選させて頂きました。その後、1990年2月の総選挙においては、故城地豊司衆議院議員の後継者として強いご要請を頂き、急遽、総選挙に出馬することを決意し、多くの皆さんのご指導とお力添えを頂き、2ヶ月間の短期決戦の末、梶山静六先生や塚原俊平先生と共に初当選させて頂きました。

その後、政治改革国会、湾岸戦争、PKO法案を巡る激しい国会闘争、郵政国会、民主党の設立、政権交代の実現、経済産業大臣、国土交通大臣、民主党の分裂と政権崩壊、民進党結成、そして今回の大混乱の中での「浅野選挙」となりました。振り返りますとまさに激動の中で、「まじめに働くものが報われる公正な社会」の実現を目指し、全力で活動することが出来ました。ご支援を頂きました働く仲間・OB・議員団の皆さん、地域住民・秘書団・事務所の皆さん、すべての皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。

「浅野さとし衆議院議員」に対するお力添えをよろしくお願いいたします!

 皆さまのご支援により、伝統ある一議席を確保し、新代議士「浅野さとし衆議院議員」を誕生させることが出来ました。ご支援とお力添えをよろしくお願い申し上げます。